進化します、私の人生で。

自分はともしび

自分のまんこ(女性性)に聞いてみた

勢いにまかせてブログを書くことにしました。

 

私、結婚してて子どももいるんですが、ずっとセックスレスに悩んでました。夫拒否のやつです。4年ですよ。大学卒業レベルです。処女喪失以来のブランクだし、産後に至っては処女です。

 

理由を分析したからって、夫は本音で「したくない」のだから責めても仕方ないというところまでは思い至りました。ピーマン食べたくないのに食べろって言うのと同じだってわかりました。

よくyahoo知恵袋とかでこの手の相談の回答にある「母親にしか見えなくなった」とか「女性らしさが足りない」とかそういうのも色々考えましたけど、うちの場合はそういう努力は無駄でした。

(今思うと、あんまりこういうので奥さん方頑張らなくていいよ、って思います。別れたいと思った彼氏が「嫌なところ全部直すから、お願いだから別れないで…!」とか懇願してきても、気持ちを引き戻せない、そんな感覚なんですよ夫側は。だから奥さんのせいじゃないです。)

さらに夫には浮気とか暴力とか分かりやすい非があるわけでもないし(真実は不明)、子どもも慕っているので、夫のせいにしてすぐに離婚!という結論もなかなか出せず、とにかく苦しかったです。なんと言っても「惨めさ」に蝕まれていました。

 

夫の気持ちに納得行くのに3年くらいかかりました。その後も婚外性交渉に走って、離婚なんて話になって、娘の親権取られたらしたらどうしよう、とか思ったら勇気もなくて、何しろ男の人から女性として意識されることさえ封印してたんですよね。

 

そして先日、私的に最後通告として、夫に聞いたんですけど、華麗にスルーされました。

あーもう完全に限界だ、と思いました。私ほど私のこと考えている人間はいないのだから、私が正解を見出せないなら、もう救いはないとか思って、どうしても光を見いだせませんでした。

でも、思いました。人生このままじゃ終わらねえって。終われないですよ。好きな人とセックスしないで死ねないですよ。

それで、すごく尊敬している人に勇気を出して相談しました。それまで惨めすぎて人に相談することさえできなかったんですが、もうこの時点で、私の女性性が何か訴え始めていたんだと思います。今となって思えば。

 

初めに目から鱗だったのが「夫とのセックスの相性はいいのか?」って質問だったんですけど、実は私、そんなこと考えたこともなくて。

極端な性癖があるとか、性交痛があるとかじゃないから、質は考えてなくて、欲しがってたのは量だったんだって気づきました。

他者から「これだけ求められてる」ってことを自分の女性性の評価にしようとしていたんだと思います。まったく主体性がなかったんですよね。

 

その人と話してて、私は、自分の女性性の声を聞いたことがないことに、生まれて初めて気づきました。

セックスは好きなほうだし、下ネタも大好きなのに、子宮に手を当てることも陰部を鏡で見ることもしたことがなかったんですよ。

おっぱいなんて第二次性徴でできあがるもののくせに労られて大切にされてるのに、生まれてからずっと持っている女性性が何を望んでいるかなんて考えたこともなく、むしろグロテスクで荒ぶってるとばかり思っていたんです。

だからきっとすごくザラザラして、硬い感じになっているって想像してて。

でも、まじまじ見て触って見ると、そんなことないんですよ。ふかふかで優しい感覚なんですよ。

自分じゃない男はそれを知ってるのに、自分はそれを知らなかったんです。

特にセックスレスの間、あらぶる厄介者扱いしていたことがすごく可哀想になってしまい、申し訳なく思いました。申し訳なくて泣きそうになりました。
それで、愛おしくなりました。

なんか、本当にごめんね、これまでネグレクトしてて、って言いました。

 

それから、毎日いいシャンプーとトリートメント使って洗って、全部剃り落としてみたりして、今までの自分の男女感とか、恋愛観とか、セックスについても、陰部と子宮のあたりを擬人化するような気持ちで、その時どんな気持ちだった?って問いかけてみたんです。

 

例えばそこが自分の娘だったら、あんなセックスをさせたか?とか、あんな男に差し出せるのか?ってことも考えてみたり。

 

もっとも私の光となったのは、私の女性性は、心の底から夫を求めているわけではないということがわかったことでした。

(かの有名なアルファツイッタラー「暇な女子大生」さんの言葉をお借りするなら「まんこの底から」という感じです。)

夫から求められないことで、自分を否定する必要はないんだ、とわかったら、パァーッと霧が晴れました。

つまり私の女性性は私がオスにしたい存在を探していて飢えているのであり、夫から求められないことを嘆いているわけではないのだって。

 

そうしたら、期待するように夫の顔色伺ったり、好きなことを封印していたことの理由もなくなって、恐ろしいくらい自由な気持ちになったんですよね。

 

それで、自分の女性性を慈しみ、輝かせることを心に決めたんです。

かつての嫉妬深かった夫を気にする必要もありません。

 

離婚とかの決断にやがてはつながるのかかもしれないけど、自分の女性性を尊重したら、自ずと向かう方向に力が出てくると信じていて、形から性急に進めようとは思っていません。

実はここ一週間くらい、もう離婚離婚!進めなきゃ、と焦ってました。

だけど、私には今まだそこまでのパワーがなく、女性性が疲れ切っているのだと思いました。

子どもの気持ちにどう整理をつけるかという大きな問題への判断にもまだ自信が持てないのも、パワー切れなのだと思っています。

 

だから、焦らず次段階として今は女性性の声を否定せず、潤わせようと思っています。

"まんこの底から"自分を幸せにしたいと思って力が湧いてくるようにすれば、怖くてたまらないことにも、なんとかなるって強気になれると信じています。

 

輝かせようと心がけてから、わかりやすく変化したのは、よく褒められるようになりました。聞こえるようになったのかもしれません。

イケメンから褒められたりすると、潤いますよねー凄く。あと、こういう人とセックスしたいなって思うようになりました。

こんなこと思うなんて妻として母として失格…って時々思考の癖が顔を出すんですが、

女性性が心の底からセックスしたいと思う男性が現れたら私はそれがどのタイミングでもしようと思っています。

今はそういう覚悟なので、歩き出している実感があり、そこまで焦燥感にかられずに済んでいます。

 

4年の禁欲生活は、私史上かなりの修練の場でしたが、なかなかできるもんじゃないと誇りに思っていますし、何も言わせねえよ?って勇気をもらっています。これから女性性の気持ちを尊重することができたなら、ムダな期間ではなかったのだと思えそうです。

 

この問題でパツパツの頭に穴を開けてもらったら、副産物として、こうして文章を書くことが心の底から好きだったことを思い出したり、女性性と向き合うことは自分の生い立ちや経験を振り返ることにもなりました。

 

セックスレス真っ只中、勇気をもらったブログがあります。

 

岡映里さんのブログ

"エモく生きろ、さもなくば死ね"

http://www.okimhome.com/entry/2016/10/20/030123

 

です。

 

やっぱりこれから一生セックスしないで終わるなんてできません。

日本て、旺盛な欲は美徳とされない文化がありますけど、旺盛で何が悪い、自分の灯火みたいな欲に自分で水ぶっかけて、死んでくなんて絶対嫌じゃないですか。

 

「まんこ」を連発するとアレなので、「女性性」って言ってますが、使い方違ってたらごめんなさい。